11/1(水)
私は生後1ヶ月目から、Sさんのお宅へあずけられた。
当時、両親は共働き。
母は、私を妊娠してから、退職することも少し考えたらしいが
その当時としてはめずらしく、仕事の差はあったにせよ、結婚や
妊娠で退職しなきゃなどという古い体質の会社ではなかったらしく
むしろ、辞めると言えば、みんなで協力するから続けなさいよと
いう会社だったらしい。
現に、共働きで子供も2.3人いて・・・という人たちが多かった
らしい。
ただ、母としては、どうしても保育園にいれることに抵抗があった
らしく、悩んでいると、父の会社の同僚Sさんの奥様(以下おばちゃ
ん)が「私がみてあげましょう」と快諾してくださり、生後1ヶ月から
私は、Sさん宅に朝から夕方まであずけられることになった。
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当時、Sさん宅は、Sさん夫妻と小学校高学年の息子さんが2人。
私は、相当かわいがられた。
おばちゃんのかわいがりようは、もう、実の娘ばりだったらしい。
そして、特に、下のお兄ちゃんは、近所中に「僕の妹」と言って
はばからず、オムツ替えや、毎日のお散歩、そして食事を食べさ
せたりと、それは、母からみても、すごいかわいがりようだった
らしい。
おばちゃんは、とても優しくて、男の子二人を育てているにも
かかわらず、怒鳴ったり怒ったりする人ではなく、上品な人だった。
いつも、身だしなみに気を遣い、髪の毛が1本も乱れていることが
ないくらい、きちんとした人だった。
朝、着替えて、お化粧をしてから台所に入り、朝食の用意をし
皆を送り出したあと、お掃除。
お掃除の後、再度、鏡台の前に座り、お化粧直しをし、髪をセット
しなおす。
もちろん、赤ちゃんの私が覚えているわけではなく、これは
小学生になって、よく泊まりで遊びに行ったときに、見ていたこと。
私は、早く遊んでもらいたいから、待ち遠しくてたまらなかったのを
覚えている。
最後の合図は、髪のスプレー「VO5」。
これをシュシュっとふれば、遊んでもらえる。
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また、Sさん夫妻は、私をいろんなところに連れて行った。
実際、あずけられていたのは、生後1ヶ月目から4歳までなので
覚えてはいないのだけれど、小さい頃の写真を見ると、家族で
撮った、たくさんの写真の中に、時折混じって、Sさん夫妻と
写っている写真がある。
Sさん夫妻は、自分達の親戚の家にも連れて行き、本当に実の
娘のように、私をかわいがった。
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ハイハイが上手になり、言葉も片言が上手に言えるようになった
ころだった。
玄関の上がりかまちだって、上手に登り降りして遊んでいたのに
急に私は、妙な泣き声を出し始め、そして上がりかまちから
転げ落ちた。
おばちゃんはすぐに、母に連絡をし、二人で病院をいくつも回った。
診てもらっても、原因がわからず、別の病院を案内され、何件目か
かの病院で、やっとわかり、治療。
腸重積だった。
先生からは、「痛かったろうに。こんなにひどくなってる、あと1時間
でも遅かったら大変なことになってるよ」と言われたらしい。
それでも、手術ではなく、お薬で治療。
まもなく、よくなったらしい。
病院からの帰り道。
おばちゃんはもう、それは心配して生きた心地がしなかっただろう。
母に抱っこされた私に、手を伸ばし、抱っこしようとすると、私は
「おばちゃん、ばいばい」と言って微笑み、しっかと母にしがみつき
背中をむけたらしい。
もちろん、このできごとは、私は覚えていない。
物心がついたころ、折に触れ、おばちゃんから聞いた話なのだが
そのとき、おばちゃんは、「こんなに、かわいがっていても
お母さんが一番なんやね」と言い、「もう、かなしかったぁ」と
苦笑いしていた。
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私が4歳になり、妹が生まれると、母は会社を退職した。
妹は、生後まもなく、椎間板ヘルニアであるということが判明し
その治療に専念するためだった。
(治療の甲斐あって、大事には到らず、完治した。)
4年間もお世話になった、Sさん一家。
私は、お母さんが2人いると、本当に思っていた。
「おばちゃん」と言うことが、ほとんどだったけれど
時折、「おかあさん」と呼んでいた記憶が、かすかにある。
すっかりなついてしまっている私は、それからも、自ら遊びに
行きたいと言い、また母も「おばちゃん」とは仲良しだったから
よく行き交った。
小学生になってからは、一人で、泊まりに行くことが多かった。
いつものように、泊まりで遊びに行ったあるとき、台所のみずやの
引き出しを、おばちゃんが「開けてごらん」と言った。
小さいご飯茶碗と何枚かの小皿、そしてピンクのお箸。
私が、あずけられていたころ、食事に使っていた食器だった。
とてもきれいにしてあって、その引き出しは、私が使っていた食器
だけが、きちんと並べてあった。
私 「おばちゃん、これ、私、持って帰っていい?」
おばちゃん 「Yちゃん、これはものすごく大切やけんね、これは
Yちゃんでも、あげられん。誰にもあげられん。
おばちゃん、大切にとっとくと」
私 「そっかぁ」
私は、プラスチックのピンクのお箸をいじりながら、よく見ると
巨人の星のロゴと絵が入っていたのを、私、女の子なのにと
心の中で思いながら、もらえないことをとても残念に感じながら
つぶやいたのを、いまだに、昨日のことのように覚えている。
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中学生に入学した日だったと思う。
真新しい制服を着て、家族でSさん宅へ行った。
おじちゃんとおばちゃんが、私の成長をとても喜んでくれた。
そして、二人が言った。
二人 「Yちゃん、廊下の奥のTV、見てごらん。わかるね?」
私 「何?わからん。TVがどうしたと?」
二人 「TVの足ば見てごらん」
昔のTVは、もちろんブラウン管で、チャンネルはダイアル式。
そして、外枠は木材で、4本の足があった。
その、木材である4本足は、リスがかじったか、もしくはキツツキが
突いたように、茶色いところが剥げて、木がむき出しになっていた。
二人 「なんでかわからんけど、YちゃんはTVの下にもぐりこむの
が好きでねぇ。もぐりこんでは、TVの足に噛み付いて
離れんかったたい。」
中学に上がって、少し大人になった気分でいたのに
もう、こっぱずかしくてたまらなかった。
そして、小学生の頃は、あんなに、泊まりで遊びに行っていたのに
中学に上がってからは、もう一人で遊びに行くことがなくなった。
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成人式の日、振袖を着て、家族でSさん宅へお披露目に行った。
おばちゃんは、いつのころからか、呉服屋に勤めるようになって
いて、私は、おばちゃんのところで、母から振袖を買ってもらった。
おじちゃんもおばちゃんも、とても大喜びで、二人、バチバチと
写真を撮りまくっていた。
私も嬉しくて、嬉しくて、ちょっとモデル気取りだった。
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私の結婚式には、おばちゃんにも出席してもらった。
式が始まる前、控え室に座って待っていると、おばちゃんが来て
くれた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
おばちゃんは、声にならない声を出した。
私には、おばちゃんが何を言いたいのかわかった。
メイクが終わっていたけれど、私はぼろぼろ泣いてしまった。
「本当は、おじちゃんにも見て欲しかった。」
おじちゃんは、1年前に、他界していた。
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結婚式の日、おばちゃんには、サプライズを用意していた。
2回目のお色直しで、退場するとき、おばちゃんと一緒に退場
するという、サプライズ。
係りの人の案内で、何がなんだかわからず、高砂まで連れて
こられたおばちゃんは、突然のことにびっくりしていた。
司会の方が、「Sさんは、新婦が幼い頃からお世話になった方で・・
」と言い、「お二人そろって退場されます。」と言うと、おばちゃんは
「私はもう・・・。こんな幸せなことしてもらってから・・」と涙ぐんだ。
そして、手をとりながら、「ありがとう。ありがとう。」と何度も何度も
つぶやいた。
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「私達、結婚しました。」の葉書を、おばちゃんにも送った。
おばちゃんは、すぐに新居へ電話してきてくれた。
「なんかね、うれしくてね、用はないけど、電話したとよ。」
いつまでも、やさしい、心の温かい人。
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姫が、1歳を迎え、念願のハイハイができるようになってから
目が離せなくなり、また、遊んで欲しくてたまらない様子で
なかなか、家事が進まなくなった。
掃除も、2.3日に1度ぐらいしかできず、毎日、食事を作るのが
やっと。
雑巾がけも、週に1度できればいいほう。
トイレ掃除も、なかなかできず、トイレへ行くたびにブルーな気持ち
になる。
窓ガラスも、全然掃除できていない。
カーテンも、もう半年くらい洗濯していない。
そういう、掃除が行き届いていないところばかりを、よりによって
姫は触りたがる。
はぁ~と思いながら、ここのところ、いつも、お茶碗とお箸を
思い出していた。
おばちゃんが、私が小さい頃使っていたのを、取っておいてくれた
あの、食器たち。
そう、思い出した。
お茶碗や小皿・大皿は、「3匹のこぶた」のキャラクターだった。
母が、買い揃えたものだった。
自宅にも、もうひと揃えあった。
食事のとき、私は「3匹のこぶた」と一緒だった。
なんか、不思議なくらい、気がつくと、「3匹のこぶた」のお茶碗と
「巨人の星」のお箸のことばかり、思い出している。
それも、おばちゃんの家の、みずやの引き出しの中に、きれいに
並べられている様子を。
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10月28日、土曜日。
夕方、携帯がなった。
表示を見ると、見覚えのない固定電話から。
でも、市内局番は、実家と同じ。
「Yちゃん?Sですけど。」
Sさん宅の、上のお兄ちゃんだった。
「元気ね?あのね、実は、今日の午前12時○○分に、おふくろが
息をひきとったんよ。病気で入院は、しとったんやけど、こんなに
早くとは、自分達も思ってなくて。おふくろ、2.3日まえからYちゃん
に会いたいって言いよったんよ。でも、まさか、こんなに早く逝って
しまうとは、俺達も思ってなくてから・・・声かけんで。ごめんよ・・・」
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両親とお通夜へ行った。
お経が終わり、私達は、一番最後にお焼香させてもらった。
前に、立っているお兄ちゃん達が、涙で全然見えなくて、嗚咽して
しまって、押さえようとしても押さえられなかった。
お焼香をして、席に戻ろうとしたとき、下のお兄ちゃんが傍へきて
「おふくろの顔、見てやって」と、背中を押してくれた。
涙があふれるけれど、もう、必死にこらえて、おばちゃんの顔を
見た。
「Yちゃん、ごめんっ」
お兄ちゃんが言った。
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お葬式は、姫を連れて行った。
私は、おばちゃんに姫を見せてあげられなかった。
年賀状でしか、娘が産まれたことを伝えていなかった。
このことが、悔やまれて仕方がない。
お焼香は、姫を抱っこしておこなった。
そして、棺に眠る、おばちゃんを姫にも見せてあげた。
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親族・遺族の方が、最期の見送りをしているとき、上のお兄ちゃん
が、私を手招きして呼んでくれた。
姫を母にお願いし、私も、最期のお見送り(納棺)をさせてもらった。
上のお兄ちゃんの奥さんが、私の傍へやってきた。
「ごめんね。母は、最期の日も、Yちゃんに会いたいって言ってた
のよ。ごめんね。声をかけてあげなくて、本当にごめんね。そして
これは、あなたが、お母さんの顔の傍に置いてあげなさい。」
棺に入れてもらおうと書いた手紙だった。
「K君(下のお兄ちゃん)の横に行きなさい、ほら、K君、Yちゃん」
上のお兄ちゃんが、手渡してくれたお花と一緒に、私は自分で
おばちゃんの傍に、手紙を置くことができた。
お花は、私の名前に由来するものだった。
そして、私は、気がつくと、おばちゃんの顔を何度も触っていた。
ただ、眠っているだけみたいだった。
そうであって欲しい。
また、何かの節目に、会いに行けるよう、そのときまで
ただ眠っているだけであって欲しい。
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